エヌ坊がT360以来のDOHCエンジンが搭載された軽自動車ということで、今回はこのT360がどんな車だったかについて。
ホンダT360は1963年8月に発売された水冷直列4気筒、日本初のツインカム30馬力のミッドシップエンジン搭載車であり、ホンダ初の4輪自動車の軽トラックである。ボンネットに大きな「H」の文字の個性的な外観と非常に高い運動性能を併せ持っていた。エヌ坊でも直3DOHCなのに1963年に直4DOHCとは、もの凄い先進的なスペックだ。
T360に関しては次のようなエピソードがある。
本田宗一郎はホンダ初の4輪自動車としてスポーツカーを考え開発していた。
そこに藤沢武夫がやってきてこう言ったそうだ。「本田さん、やっぱりホンダ初の4輪自動車は実用車にしましょうや。」
それに対して本田宗一郎はこう答えた。「お前さんがそう言うならそれでいいよ。でもエンジンはスポーツカー用のエンジンしか作っていないぞ。」
すると藤沢はこう言った。「それでいいですよ。」
こうしてT360が誕生した。
本田宗一郎と藤沢武夫の関係であるが、本田宗一郎はご存じホンダの創業者。この当時は社長。藤沢武夫は副社長(または専務かも)だった。
本田宗一郎は天才的技術者であり、藤沢武夫は名経営者であった。つまり、技術開発は本田宗一郎が行い、会社の経営は藤沢武夫が担った。
本田宗一郎のホンダ技術研究所と、藤沢武夫の藤沢商会が両輪となり、本田技研工業が世界的にな企業となったと言う人もいて、藤沢武夫については「本田宗一郎を世界一にした男」とも評されている。
だから藤沢が営業の観点から、ホンダ初の4輪自動車をスポーツカーではなく実用車にしたいと申し出たとき、本田宗一郎はすぐに了承した。本田宗一郎はこと会社の経営に関しては藤沢武夫に一任していたのだ。
このような経緯があって、スポーツカーのエンジンを積んだ軽トラックが発売されることになったが、軽トラックといってもミッドシップエンジンレイアウトだし、エンジンは前述のようにスポーツカー用だったのでそのポテンシャルは非常に高かった。いまだにT360の愛好者がいるほどだ。
ちなみにこのエンジンは改良され、後にホンダ最初のスポーツカー、ホンダSシリーズに登載されることになる。ホンダS360・S600・S800と続く名車でこちらも未だに根強いファンが国内だけでなく海外にも多い。
結果的に出来上がったT360は魅力的な軽自動車となった。そう考えると、ホンダは初めから非常に面白いワクワクする車を作っていたんだなぁと感じる。そしてそれは現在のホンダの車作りにも脈々と受け継がれているのだろう。
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